春遠足の作文を全員が回し読みする国語の授業
春遠足に行ったことを作文に書いた。
「いちばん、心が動いたところから、書き始めましょう」
という定番の指示により、全員が書き始め、1時間かけて感想文が終了。
どうしても書けない子は、家に持ち帰って書く、と自分から言ったので、そうさせる。
「今日の夕方からはバレーボールの練習があるから」
と言う子もいる。翌日の休み時間に書くことにさせる。
さて、感想文を書かせると、まあまあ、うまい子もいる。
一方、心や気持ちのこもらない子もいる。
なかに、とびぬけた子がいた。
目の付けどころが面白い子も何人かいる。
職員室で読んでいるときに、ふと思いついた。
「これを、子どもたちに鑑賞させたいナ~」
図工の時間によくやる、ギャラリートークのような、あんな感じの授業を、国語の作文を使ってやりたい、と思ったのだ。
感想文を回し読みすることにした。
壁に掲示することも考えたが、それだと見ない子もいるだろう。
そこで、授業の中で扱って、全員が全員分を読む、という経験を強制的にさせよう、と考えた。
「学びから逃げない」
という体制を作らねばならない。
回し読みをさせる。
持ち時間が少ないので、1分。
「はい、回そう」
という私の掛け声で、全員が次の人へ、作文を回していく。
隣から回された作文に、さっと目を通して、そこに自分なりの書き込みをしていく。
「なにを書けばいいのか分からない」
という声が圧倒的であったので、まずは練習。
友だちの作文に、自分がコメントを入れる、という経験をまずはさせていこうと思った。
「いいね!」
というフェイスブックの単純でシンプルなコメントが流行しているのを思いだし、
「◎を書いて、いいね!と書き、自分の下の名前を書けばいいことにしよう」
それでも1分しかないと、作文を読むうちに時間が過ぎてしまう。
そこで、名前も省略化し、
谷口牧人(たにぐちまきと)
なら、
○の中に「谷」と書けばよいことにした。
谷という字のついた子はクラスに他に居ないから、これでよい。
すると、スピードがアップ。慣れてきたこともあるだろう。
7,8人書くと、シーンとした教室の中に、ただひたすら赤鉛筆で書く音だけが響く、というおもしろい光景が生まれた。
そこに!!
なんと、主幹の先生が見に来られたのだ!
うしろの扉が開いて、すーっと主幹先生が顔を出した瞬間、せすじが凍りつきそうになった。
や、や、やばい!!!
わたしは、ほとんど何も言わず、
「はい、1分。次。」
と30回繰り返すだけで、授業らしい行為はいっさい無く、子どもたちもひたすら鉛筆で書くだけ。
こんな授業を見に来ないでくださいよ!!
と泣きたくなった。
主幹先生は、案の定、子どもたちの作文をチラチラ見て、しばらくすると、つまらなさそうに帰って行かれました。