叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

バタフライ効果とエビフライ効果

NHKの「ピタゴラスイッチ」の、終わりかけの部分がテレビ画面に流れていて、

急に部屋に入ってきた息子が、

「あ、レコードがまわっとる」


↑ 途中のプロセスは全部、すっとばして、結果だけ見ると、こうなる。


最初と最後だけ見ると、どう思うかというと、

「ボールを入れたら、レコードが回った」



たしかに関連はあるはずなんだけど、

途中にある坂道が、あの角度だったから、とか

うまい具合に、ドミノが倒れてくれたから、とか

ひもの長さが、ちょうど木の板にあたって、板を倒すことができたから、とか

玉が転がりすぎないで、ちょうど穴に入って落ちてくれたから、とか

そういった、複数ある途中のプロセスには、目を向けず、

最初と最後だけをくっつけて、

「ボールを入れたら、レコードが回った」

と言い切ってしまうと、

なんだか急に、バタフライ効果のような、ゆらゆらした、めまいのような幻惑を感じることになりますナ。

いやいや、板とか、いっぱい倒れたからやで!!




バタフライ効果、というのは、ご存知のように、

「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」

というものであります。

ブレーズ・パスカルが『パンセ』に記述した、

クレオパトラの鼻が低かったら、大地の全表面は変わっていただろう」

という格言も同じような発想に基づいたものと言えましょう。



すべからく、すべての物事は関連しあっているのは当たり前として、

Bすれば、Aになる。

という言い方は、ピタゴラスイッチの、最初と最後だけしか見ていない場合に

よく当てはまる。

こういうふうに、他の要素を抜きにして、とりあえず

分かりやすい要素だけを特に抜き出し、単純化して把握していこうとするのは、

シンプルを好む、人間の知恵の一つと言えましょう。



学校の長い廊下の端に、

「走るな!危険」

と書いた看板を立ててありまして・・・。

ずいぶん以前にお勤めでいらした先生の発案で、置かれたものです。

今年になって、新しくこの学校に来られた先生が、

「あそこは人通りも多いし、看板を外してもよいのではないでしょうか」

と職員会議で提案をしました。


ところが、昔から居る先生は、どう感じたかと言うと、

「あの看板があるから、子どもたちがあそこを走らないで歩くようになった。

効果が上がっているのだから、外さない方がいい」

でありました。


看板があると、子どもは廊下を歩くようになる。

Bすれば、Aになる。



本当にそうでしょうか。

見ているのは、ピタゴラスイッチ装置の、最初と最後だけ。

これを、ピタゴラ識(しき)と呼んでいます。

視野に入らない世界





子どもに、なんで廊下を走らないの?と聞くと、

高学年の女子は、こう言ってました。

「え?だって、疲れるから・・・」

看板があることを伝えると、

「え?そんな看板、ありましたっけ?・・・ああ、あそこのやつ!・・・あれ、そんなこと書いてあったっけ。忘れとったー。とりあえず、邪魔だからよけて歩いてるけど。何が書いてあるかなんて、ふだん見てないし」

これを、エビフライ効果、と呼びたい。

エビの身の大きさとは比較にならないほど、大きな天ぷら粉の衣(ころも)をつけて、実態よりもはるかに大きく見せることで、真実を見えなくさせる効果のこと、つまり、

事実が見えなくなることを、エビフライ効果、と呼んではどうか。




この場合の正しい語句の事例としては、

バタフライ効果を信じたあげく、エビフライ効果に陥る」

というものがあります。どうぞ、ふだんから日常生活の中で、

バタフライ効果とエビフライ効果

セットでお使いください。