叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

ユニバーサルデザイン環境でLD児を救うには




LDの子のこと。

「もう、おれなんか馬鹿だから、勉強なんかしたくねえ」


自閉症っぽい態度も散見されるAくん。
顔はかわいくて、背も小さいので、幼いころはうんとかわいがられて育ったような子だ。

おうちの、お父さんがこわいので、叱られるとすぐにシュンとなる。
きびしいサッカークラブにも所属し、あいさつなんてしっかりやる。
職員室に入ってくるときなんて、他の子よりもずいぶんしっかりとあいさつする。
6年生よりも、きびきびと動いているところが見られるときもある。

なかなかに、かわいいやつ、だった。


ところが、勉強はからきしだ。


国語の教科書、行をとばして読む時もある。
視力の問題か?
それはなさそう。
ただ、慣れていないのか。練習量が不足しているのか?

音読の宿題を出すも、ほとんどやってこない。

「だって、家でだれも聞く人いないし」

学校で、先生がきいてあげるから、朝の会の前に先生のところへおいで。


3回くらいやったろうか。
その後は来なくなった。

「えー」
「めんどくせー」

が多くなった。


このAくんが、算数の時間に発した言葉が、これだ。

算数をまったくやらない。
ノートも取らない。
他の子にちょっかいばかりだす。
なにか特定はできないが、算数の学習に支障をきたす部分がありそうだ。
脳の回路の、どこの部分か・・・。


言葉?量や大小の把握の問題?ワーキングメモリ?


居残りをさせていたら、居残りが楽しくなりすぎて、授業中にわざと怒られることをするようになった。
これはいかん、と努めてクールに接し、居残りもサラッと終わるようにした。
その何日間か、後のこと。
冒頭のセリフがあった。


「Jとか、Mとかに算数できねえとか言われる」

泣いていた。


「学校、来たくないわ」


そう言うことができて、自分の気持ちが出せたことが、まずはいい。
実際は、きちんと学校にも来るだろう。
このセリフにも、しずかに共感的に、そうかそうか、と受けた。


で、問題はこれから、である。

授業中、ほとんど理解せずにボーっとすごしてしまうAくんを、教室でどうやってみていけばいいのか。




これで終わらないのだ。問題は。
もうひとつ。

AくんとはタイプがちがうBくん。
Bくんは、もっと素直でない。
Bくんは、ほとんど教師の言うことなんか聞かない。
教室をかきまわすことに生きがいとやりがいを感じているタイプ。
教師が感情的に対応すると、

「やった!」

とガッツポーズをとる感じ。

ほとんどそうした不適切態度には、こちらもほんの少ししか関わらず、無視することも含め、努めて<ノンエネルギッシュ>に対応するが、このBくんも、勉強がほとんどできないのだ。

Bくんも、勉強という点においては、非常に自尊心を傷つけられている。
Aくんも、Bくんも、勉強ができるようになると、自信を回復するのではないか、と思う。

しかし、この二人に合わせた授業をすることができない。
もしまともにやろうとしたら、2年生か3年生の教科書にのっていることから、やり直すしかないからだ。
それをやっている時間は、残念だけど、5年生の今、はっきり言って、ない。


この子たちを、教室で孤独にさせない。
ユニバーサルデザイン環境で、救えるだろうか。