叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

学年末 一年間の締めくくり 何をどう授業するか その1


今年出会った、クラスの子どもたち。
もうすぐ、一年間が終わろうとしている。

もしかしたら、また持ち上がるかもしれない。
でも、持ち上がらないかもしれない。

別れを意識した、のこり一か月がはじまる。


さて、算数以外の教科では、学習のほとんどの単元が消化された。
のこりは、まとめ、という時間である。
国語はスーホの白い馬
すでにはじまっているが、これももう、見通しがついている。

算数は、どの学年も、新CS、新学習指導要領によって、苦しくなった。単元が、年度内にこなせる、ぎりぎりの量に増えている。
だから、まだ残り単元が2つくらい、ある。
ともかくも、油断することなく、確実に進めていかねばならない。算数だけは、一日2時間という日も、つくることになっていくだろう。


さあて、生活科もめどがついた。国語もめどがついた。行事の練習時間はあらかじめ、計算に入れておくとしても・・・。

子どもたちに、この1年間のしめくくりとしてふさわしい、何かの授業をやっておきたい。

漢字文化、もう少しやりたかった。
作文、もう少し、こまかく指導したかった。
いろいろと、やりたいことは、盛りだくさん。


でも、今日一日考えて、やはり、これをやろうと思う。

東日本大震災とは、何だったのか」


2年生。8歳だ。
新聞報道も、大人の会話などから、いろいろと聞きかじってはいる。
でも、どこか遠い話でしかない。
近所のふるいお宮の瓦が落ちたとか、石灯籠がこわれた、という話は知っているし、すごく揺れたところもあったから、これまで以上に身近な災害であった。それでも、日々は変わらないし、もうすでに1年も前のことになろうとしている。忘却していきつつある。


しかし、この大変な災害の起きた年に、やはりふりかえって、いったいなんだったのか、8歳なら8歳なりに、自分のこととしてひきつけて、どこまでか分からないが、考えてみる必要はあると思う。
そして、自分なりのアクションにむすびつけて考える。
これでないと、この日本史を揺るがす大事件を、スーッと、音もなく、わすれていきそうな感じがあるのです・・・。(分からないですが。目の前の子どもを見ての、教師の直感にすぎません)


そこで、東日本大震災のことを、授業しながら、自分たちの学級づくりの一年間をふりかえる、ということを、からめて進めていきたい。

じゃどうするか。(つづく)