小学校の教室の研究 安心ということ
なぜ、小学生が、そこまで安心できるのか、について。
つまりは、教室には、敵がいない、ということなのではないだろうか。
ことさら「競争」ということもないし、する相手もいないし、
自分を評価してコントロールしよう、という者もいない。
だれかが【褒め殺し】してくることもない。
つまり、自分を操作しようと企む者が、いない。
自尊心を攻撃してくる輩もいない。
だから、安心している。
安心して、自分でいられる。
そういう空間だから、新しい創造が生まれる。
昨日までの教科書の解釈を、さらに発展させようとする。
友だちが、
「すごい」
と素直に驚くような意見を言う。
ところが、その「すごい」は、すぐに、あっという間に、共有されるのだ。
友だちのアイデアは、すぐに全員のものになる。
独占されない。
図工の時間に、一人がはじめたことは、すぐにだれかにマネされる。
どうやったらそういうことができるのか、開発したり、発明したりした子がすぐに他にシェアする。
開発者は、友達が真似してくれるのが、うれしくて仕方がないのだ。
真似する子も、だれのアイデアなのかなんて、気にしていない。
小学校では、ボールの投げ方も、けり方も、マットの前転も、みんな友達のやつをみて、
真似をして、しあって、うまくなるのだ。
大好きな友達が、自分の真似をしてくれている。
そのことが、自分にもたらしてくれる、かけがえのない尊重感は、もう、他に代えられないもの。