叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

誉める、という言葉の限界 その2

いつのころからか、「ほめる」は、不要、と思い始めた。

それまでは、要る、と思っていた。

必須、と思っていた。

だから、わたしが教室経営をうまくやっているとしたら、その原因は、

「子どもをうまくほめているからだ」

と思っていたことまである。

それくらい、今の教員は、「ほめる」に頼っている。

「ほめるから、うまくいくのだ」というふうに、これはもう分かちがたいものとして、考えているのが、今の多くの教員だと思う。



しかし、ガラリと考えが変わってしまった。

「ほめる」を特に意識しないでいても、ふつうに暮らしていることができた。

子どもに何かしよう、という意識よりも、子どもに

「どうする?」

と聞いていることが多かった。

子どもからの言葉は、たくさん出てきたけど、最終的には、

「そうかー。先生はこう思う。こうしてほしいな」

というと、子どももすんなりと、

「先生がそう思うなら」

と、クラスが進んでいった。



学んだのは、

子どもに、何かを「思わせよう」としなくても、ちっとも教師は困らない、ということ。

「こうしてほしい」

と伝えれば、すべてがOKだった、ということ。

子どもは、大人の言うことを、案外と、聞きたがっている、ということ。

また、子どもがそうしなくても、こっちは困らなければいいのだし・・・。



まったくストレスのない、教師と子どもの関係がある。

(関係と言うのかな?)



そのときに、「ほめる」 は、フェードアウトして、舞台の上から、消え去ってしまった。

私の頭の中からも、気持ちからも、スーッと消えてしまった。

褒める、ということについて、考えなくても良くなってしまった。

もう、子育てや教育のことを話す時に、私は

「褒める」

という言葉を使わない。

「叱る」もね。


しっかり褒める
しっかり叱る
どっちも要らない。



どっちも要らない子育て。


そのかわり、

子どもの不安を取り除く子育て。

気持ちを、きちんと伝え合う子育て。


「こうしてね」(ねがう)

「こうしたよ」(なにかする)

「そう!オッケー!良かったね!」(うれしい)

跳び箱だって やった!

誉める、という言葉の限界 その1

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教育現場において、

「褒める」ほど、難しい言葉はないと思う。

おそらく、「ほめる」という言葉の中には、とても多くの事例が含みこまれている。

だから、わたしは、「ほめる」という単語を、使うのに、躊躇してしてしまう。



本音を言うと、ネ。

子どもや大人の関わりのなかで、

「ほめる」が広すぎて、雑すぎて、あまりにもおおざっぱで誤解を招くから、

『言葉』としての寿命を感じるというか、もう、使えない気がしている。


担任の心の状態って、それこそ千差万別、いろんな場合がある。



褒めるのが良い

褒めましょう




と結論を出した気でいるけど、


その、言葉をかけたくなった担任の、心構えや考え、背景は、どうか?


○喜ばせようとしての言葉がけなのか。

○それとも、「喜ばせよう」とはちがう言葉がけなのか。

○教師の「評価」なのか。

○教師の「ねがい」なのか。



いろんな意味で曖昧なのに、

先生どうし、お互いに

「褒めましょう!!」

と言い合っていても、

その内容や質が、フワフワしていて、

本当に実現したい子どもとの関係が、

ちっとも、つかめないまま。




先生たちどうしで、

「なんで褒めるのか、褒めるとは何か」

と、話したこと、ないものなー。




うれしい~

相手の満タンポイントはわからない

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相手が満タンになるポイントを、すべて把握できれば良いが、現実的ではない。

大人も子どもも、相手がいったい何によって満タンになるのか、知りようがない。

つまり、本当に相手の心が満タンになるポイントというのは、

他人にはざんねんながら、分からない、ということのようだ。



そこまで話し合うと、声かけもかわってくる。


「ねえ、ちゃんと満タンにしてる?」

友達どうしで、言い合う場面がでてくる。

わたしがあなたに親切にしてあげる、

というだけでは、相手が満タンになるとは限らないから。






子どもどうしだけではなく。


担任が、朝から仏頂面で教室に入っていくと、

クラスでいちばん成績の良い、いわば「できる女子」が、わたしに向かって

「先生、満タンにしてから教室に来てよ」


というときもある。



わたしは面倒くさいので、無表情のまま、

「満タンだよ」

と言う。


女子たちは、あやしんで、

「いーや。なんだか、あやしい」

と断言し、

「なにが忙しいの?読書して待っててあげっから、これからやれば」

と言ってくれる。

「いやだいじょうぶ」

「ほんとうに?」

「本当に大丈夫。さ、朝の会をはじめましょう」

「ホントに~???・・・じゃあ、先生、かっこいいね!!!」



最後のは、せめてわたしの心のエネルギーを上げようと、苦心してくれているわけ。

・・・くぅ、泣ける。(仕事は減らないけど)


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満タンタイムは2分間

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満タンタイムは2分間しかなく、朝の忙しい時間にがんばってやりくりする。

しばらくつづけていると、

「先生、満タンタイムを延長しようよ」

とか、

「満タンタイムは短すぎるから、長くしたい」

という意見が、かならず出てくる。


たしかに、2分間は、短い。

あっという間である。

もうちょっとやれたら、目盛りももっと上がりやすいのに。

だれしも、そう思うものらしい。



しかし、時間は限られている。

みんなでいっせいにとる時間は、2分しかとれないよ、という。

「えー」



しかし、『2分間のみ』を、つらぬいていると、徐々に変化が出てくる。

朝の2分間に、すわったままで、メモ帳にメモする子もいる。

子どもなりに、知恵を働かせるらしい。

「今日の予定」

を、自分で考案し、あれとこれと・・・と、計画案を立てているらしい。

どれも、満タンになるための方策である。




朝の2分で、劇的に目盛りを10まであげる、というのはむずかしい。

しかし、1時間目が終わったら、つづきをやればいいのだ。

中休みの20分に、つづきをやればいいのだ。

そう、思っている子は、相当多いと思う。



あとで、つづきをやろうっと。

そう思っておくだけで、目盛りはかなり、上がる。


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けんかの起きる前はどうだったのか

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けんかの起きる前。

こころの目盛りは、いったいどこにあったのか。

10を満タンだとして。

子どもたちは、全員が、

「0とか1とか」

という。



え、そうかなあ。



「だって、メモリが10のところとかだったら、ちっとも気にならないもん」



そもそも、目盛りが10のところだったときって、これまでにそういう経験、あるの?


ほとんどの子が、

「うん、あるよ」

と、ふつうに言う。



これは、大人には少し衝撃だろう。

大人はどう頑張っても、5か、6かを維持するので精いっぱい。

あっという間に目減りする元気を、どうにかして維持したいのだが、

〇仕事のストレス
〇評価が気になる
〇締切が気になる
〇上司に叱られた
〇子どもが反抗する
〇同僚が病気になった
〇近所とのつきあい

等々・・・。

どんどんと、目盛りは下へ、下へとさがっていく。

目盛りが8や9だったのは、遠い10代、20代の頃。
はるか昔の、青春の思い出だ。

結婚すれば、目盛りが5あれば良い方で、
育児に疲れ、仕事に疲れ、人間関係に疲れ、

「とてもじゃないけど、目盛りが10なんて、虚構としか思えない」

という暮らしをしているのだから。

子どもが、いともたやすく、底抜けに明るい表情で、

「うん!今、目盛り最高!10だよ!」

なんていうのを聞くと、にわかには信じられず、

「嘘だ。ぜったい嘘・・・。10なんかになるわけがない。人生は重き荷を背負いて行くがごとし」

と、青ざめ、やつれた表情で、誰にも聞こえないようにつぶやくだけだ。



念のため、子どもたちに尋ねてみると、

「朝起きると、たいてい、10だよ」

という。


子どもというのは、なんとお手軽に、

目盛り10!

を、手に入れるのか。



そうして、朝の時間に仲の良い友達と、たっぷりおしゃべりして遊んだあとは、
こころの目盛りは、ちゃんと、10になっている。


その10の、最高レベルの、MAXご機嫌なときに、

友達が消しゴムでも落としたら、

拾ってあげたくなる。


目盛りが10あれば、

機嫌の悪そうな子が「バカ」と言ったって、

まったく平気。



逆に、

「だいじょうぶ?」

と、声をかけてあげたくなる。


だって、わたし、目盛り10だもの。

最高の気分!!

・・・て、わけ。


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自分のために時間を使うことの恐怖

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毎日、いろいろと話し合っていると、

なにかの流れで、

クラス全員、幸福になりたいと願っている

と、判明することがある。



そんなもの、人間だもの、当り前じゃないのか、と思われましょう。

しかし、実は、「幸福」という言葉ほど扱いにくいものはないので、

きちんと解明してみないことには、分からない。

クラス全員が、「満タン」になりたいと、願っていたこと


このことに、改めて気づいて、へ〜〜、となる。

「はー、やっぱり」





で、意外なのは、

「え、先生も?」


ということであります。


小さな子どもたちからすると、

まさか、先生も、満タンがいいとは

ということもあるようで・・・。

「えっ?先生も、なの?・・先生はもういいんだと思ってた」




大人はスーパーでスペシャルなので、

もうそんな領域はとっくに超えていて、

満タンになりたいなどとは、思っていないのではないか、とどこかで思っているらしい。




もう一つ、意外なのは、

「学校では、そんなふうなことは考えちゃいけないと思っていた」

というもの。


堂々と、満タンタイムをやってしまうことに、どこかしら、

「え?こんなに堂々とやっちゃって、いいのかなあ」

と、はばかるものがある。


学校とは、苦難に耐え、ひたすらにどこか遠くにある目標をめざして歩むところ。

だから、今、自分の内面をFULLにすることなど、とんでもない堕落した行為だと、

子どもも、どこかで思っている。



「本当に、満タンになってしまって、いいのだろうか・・・」

すでに7歳、8歳にして、これを思い悩む子がいるのですが。

自分のために時間を使うことの恐怖。

この恐怖、要る?

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母親が子どもに困る、ということの意味は・・・

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登校しぶり、と言われている子がいました。

子どもたちが登校する玄関ではなく、職員が通る通用口の玄関があります。

そこに、親子が2人で立っていました。

つまり、他の子といっしょの児童用玄関からは、入りたくなかったのでしょう。

たまにそういうケースもあるので、わたしも「ああそうか」と事情を汲んで

挨拶しながら、学校の建物に入ろうとしました。




すると、そのとき。

お母さんが、苦しい顔つきで、子どもの手を引っ張りながら、

「お母さんだって、困る!」

と言ったのが、聞こえたのです。




子どもは泣いていました。

子どもの足は、動きません。

子どもは、何も言いませんでした。



お母さんは、これからお仕事へ向かおうとされているのでしょう。

スーツ姿で、ビシッとされていました。

営業なのか、事務なのか、どんなお仕事なのか分かりませんが、

朝の8時です。これから出勤しないと、間に合わない、という時間なのでしょう。



お母さんだって、困るんだから!!



お母さんは、確実に困っていらっしゃったようです。



〇子どもは困っている。
〇お母さんも困っている。


そこに、観音さまが現れて、2人を救ってくれたらいいのですが。

ところが、この場面には、2人しかいないのです。

あ、もう一人いた。

先生です。

見ると、先生も、苦痛にゆがんだ顔をしています。

〇先生も困っている。

3人3役、3者全員、困っている。




あんたが困っていると、わたしだって困るわよ。

と、全員が思い合っているのです。

ヘビ → カエル → ナメクジ の3すくみ状態に近い。


子ども「お母さんが困るって言ったって、そんなこと言われてわたしが困るじゃん!」

母「子どもが困るって言ったって、そんなこと言われてわたしだって困る!」

先生「子どももお母さんも、2人で困ると言い合っていたら、わたしだって困る!」




優先順位を決めた方がいい。

この場合は・・・???







どう考えても、子どもが優先でしょうナ。

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