叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「責めない」という選択肢

家族を殺された方が、殺人犯のもとへ面会に行く。

そこで、

「あなたが幸せになることでしか、解決は無い」

という。

殺人犯は、涙を流して、声を震わせながら、

「わたしが幸せになっても、いいんですか」

と、言葉を絞り出す。



殺された家族のことを思うと、居ても立っても居られなくなり、

同じように殺人を犯した者のところへ行き、何度も対話を重ねる、という。

それは、自分の感情をぶちまけるわけでもなく、

犯人を責めるわけでもなく、

ただ、「対話者」としての、ひとりの人間になるため。

「あなたには、対話者がいなかったのかもしれない」

身近に、本当の意味で、対話のできる人がいれば、あなたは殺人を犯さなかっただろう、と。

news.yahoo.co.jp





わたくし、実は、同じようなことを、以前に聞いたことがある。

このブログにも、書いている。(2016年05月06日どんな子もかわいいは、嘘か)


アメリカの映画かドキュメンタリーで、同じように娘を殺された家族が、

これから処刑される殺人犯を前に、

あなたが幸せになればよかったのに、と言って抱きしめる、という場面だ。




幸福、というものを真に見つめれば、

自然と相手の幸福を願っていくほか、他にすることはない。



8月に入り、命とか、人生とか、考える機会が増えた。

日常に忙殺されることが多い毎日であるが、

一方で、人間の生きる、おおもとのところを、きちんと考えていたい、と思う。

犯罪者

教室のすべての子に話しかけるコツ

毎日、教室のすべての子に話しかけたいと思ってる。

ところが、なかなかそうはいかないこともありましてね・・・。

自分からどんどんと、

「先生、せんせい、あのねえ」

と休み時間に話しかけてくれる子はいい。


そうでない子とは、つい、会話のないまま、一日を終えてしまう。

まじめにコツコツやっているような子ほど、授業中も目立たないことがあるし・・・。

話しかけようにも、用事を頼むだけではつまらない。

授業でなにか意見を言ってくれたらいいけど、それもない場合は・・・





わたし、ときどき、

子どもの着ているTシャツの絵や字を、ふと、読むことがあります。


ただ、読むだけ、ですが。

「あ、〇〇〇って書いてある」

とか、

「あ、きりんが書いてある」

というだけ。

そうすると、たいていの子は、ニヤッとしますね。不思議と。



Tシャツって、英語で書いてあることが多いでしょう。

それを、読めない子も多いから、その英語の単語のつづりを、

ただ読んであげるだけ。

ところが、これだけで、面白いらしい。



あ、今日はあの子には、あまり話しかけていないな。

と、給食のときに気付きますでしょう?



そしたら、昼休みに話しかけて、

「あっ!面白いTシャツ。The Big Apple だって」

その子は一瞬、たちどまって、

「え?どういう意味なの?」

「えっとね・・・」



まあ、こんなことをしながら、教師はクラス全員に話しかけております。

するとですな。

ある子のTシャツに、

SHINE

と書いてあったのですが、

4年生だから、ローマ字が読める。

おどろいて、

「先生!!わたしのTシャツ、死ねって書いてあった!」

ほぼ、泣きそうです。

そこで、教室にたった一冊ある英語辞書でいっしょにしらべて、



「おお、かがやく、という意味か!」

ホッとしておりました。


英語辞典があって、良かったー。

kids_kodomofuku_shirt_boy

ぞうきんをなかなか干さない子

子どもたちの椅子の下に、雑巾をつるしている。

他の学校は知らないが、愛知県の小学校ではよくあります。

椅子の下に、せんたくばさみをとりつけていて、

子どもの椅子の下には、床すれすれのところに、

ぞうきんが干してあるのです。


ところが、そのぞうきんが、どうしても床に落ちる子がいる。

つまり、せんたくばさみで、いちいち、はさんでつるすのが、面倒なんでしょう。

だから、洗濯バサミをつかわず、つるん、と

棒にひっかけておくだけ。

したがって、授業中に椅子をゆらしたり、立ったり座ったりすれば、

かんたんにそこから、ずり落ちてしまうのであります。


これを、教師は、負けちゃいけない、とばかりに、

何度も注意します。


ところが、こういうケース、ちょっとした、ささいなことであればあるほど、

教師から見て、「そんなもの、すぐに直せる癖だ、かんたんだ」

と思うものであればあるほど、

なかなか、直らないのです。

洗濯ばさみで、ちょちょっと、はさむ。

その動作を、面倒がって、やらないのであります。

大人から見ると、超、かんたんなことなのに。



するとね。

先生は、


こんなに簡単なことなのに!
自分の言うことを聞かない子だ!



と思うわけ。

めげたり、いらいらしたりしちゃう。



こういう場合、言葉での注意、うながしは、やめた方がいい。

たぶん、その子自身も気づいていないような、なにか「事情」があると思います。

つまり、その子にとっては、なにか合理的と思えなかったり、方法が気に入らない場合や、

「ぼくはもっとこうしたい」という思いが、潜んでいたりするときがある。

あるいは苦手意識や、よくない思い出など、

なんらかの潜在的な理由があるのではないか、とみます。



こういうとき、まったく新しいやり方を提案すると、良くなるときがあります。

「ぞうきん、そこにかけるの、やめようか」

「うん」

「そこだと、すぐに落ちちゃうね」

「うん。下にかがむのが面倒くさい」


こういう子、います。

かがむ格好を、生理的に嫌う子。

大人からすると、信じられないけど。




「じゃあ、置き場所を変えよう。この箱の中にしよう」

Aくんの場合は、そうじロッカーの金属面に、マグネットでくっつけておける、小さなバスケットをとりつけて、そこにかけておくことにしました。

バスケットは、100円ショップで買ったものです。

一発で気に入りました。そして、かかさず、そこに入れ続けてくれています。

「そうじ道具は、みんなここ」

Aくんの頭の中も、すっきりできたようです。

汚れて「きたない」雑巾が、自分の座るイスの下にある、というのが、

なんとなーく、気になっていた(いやだった)みたいです。

綺麗にすすいで洗ってるのだし、そんなん気にするかよ、と思うのですがね、

こっちからすると・・・。




小さなことほど、やり方を大々的に変えると、効果的なことが多いです。

oosouji_zoukin

悪口(わるくち)のこと

わが学級にも、悪口はあります。

とくに、まだ人間関係ができていっていない時期、1学期はありますね。

6月中旬くらいで、ずいぶんと静かになり、

「おや、どうも最近は聞かれないな」

となる。

子どもたちどうしの人間関係も落ち着き、クラスの授業の雰囲気や、進め方や、

お互いの性格、ポジション、好みなどが分かってきて、6月中旬ごろ、子どもたちは

「ちょっとひとまず、これでいいかな」 と思うのではないだろうか。



それでもたまに大喧嘩などがある。

すると、久しぶりだから、燃え方がちがう。

「死ねーーーッ!!」

「おまえ、うぜぇーーーッ!!」

と、さんざんやり合うが、これはまあ、ふつうの大人の人ならたまげることでしょう。

なぜならふつう大人になると、ここまでひどい悪口は、日常、言わないでしょうから。

子どもだからこそ。

こういうセリフを、言うのですよね。

大人になると、言わなくなるもの・・・。



わたしは、双方が悪口を言い合っていてもしかりませんが、これはもう、子ども自身が、

「相手をののしる」

ということについて、あまり楽しい感情をもたないから、

叱らないでも無くなっていくわけで、

ののしると、もうそれは、ひどい感情になりますよね。

泣きたくなるし、実際に泣くし、嗚咽するし、

泣きわめいたあと、周囲の友だちが、ちょっと距離をあけてくるし、

いいこと、なんもない。



そういうことを経験するというのは、まあ、ひとつは勉強なのでありましょう。

そして、相手をののしる、ということについて、みんなでまた、冷静になって、

その メカニズム というか、 からくりというか、

自分の感情がどうしてそう動くのか、

なぜそう思うか、そこで、どんな思いが湧き上がってくるか、

さびしい気持ちや、わかってほしいという切実な思いを、

見直していきます。


実際に、派手なけんかが起きたときが、

人間関係を深める、とってもよいきっかけになることは多いです。


そして、見直してみると、

その悪口が、とても自分の口から出た物だとは、思えないくらい、

自分から離れて、なんとなく空中にぷかんと浮いた、

寂しくて悲しい、愛おしいものに

見えてくるそうです。(子どもの日記から)

kodomo_kenka

しつけのむずかしい時代

保護者会などで、よくスマホのゲームとか、テレビゲームのことが話題になる。

よく言われるのが、

「学校の方で、一律に、ルールを決めていただきたい」

というもの。

つまり、家で子どもを叱るときに、

「ほら、学校でもルールで決まっているんでしょ!」

といって、ゲーム機やスマホをとりあげやすいから。




昔は、こんなことで、あまり苦労しなかったと思うね。

なぜなら、わたし自身を振り返れば、よく母親が言うのは

「金がないから、無理」

というセリフでありまして、

それ以上の理由も説明も、なにもない。

べつに、それで躾をしよう、と意図したわけでなく、

「そんな金、どこにある。新しいものは要らん。無理、無理・・」

と言っておれば、うまいこと躾けられた(ような雰囲気になった)のではないかと思う。

隣近所も、なにかそんな雰囲気だったから、まだまだそれでいけた。

今のように、ほとんどの人がスマホを持ってる、という時代とはちがったのです。




・・・ということは、現代のお母様方が悩んでいらっしゃるのは、時代のせい、かも。

お母さんたち自身に、躾の能力があるとかないとか、そんなことではなく、

昔の母親がいちいち考える必要のなかった、

スマホやゲームのルール作りなどまで、自分でしなければならなくなったからです。



家庭で考えていかなきゃいけない諸問題が、多すぎる!

これが、今の世の中が採用する「子育てシステム」の、つらいところ。

今のお母さんたちは、それでかなり苦労している。

一人ひとりのお母さんの、キャパを超えているでしょ?

新しい時代の、新しいしつけ、新しい子育て、

新しい社会を見越しての助言など・・・こりゃ大変だよ。



それを、すべてのお母さんが一人でこなしていくなんて、

超難関な事業です。

苦しいのは、母のせいじゃ、ない。

ひとりのお母さんだけで、「現代版子育て」なんてできるものじゃない。



世の中が変わっているのだから、

社会全体の子育てのシステムも変えたらいいはず。

どうやら、

「伝統的な価値観での子育て」では、

無理、という時代に


なってきているようです。


pose_azen_woman

残業0(ゼロ)に賛成!

残業0(ゼロ)というのが、いちばんいい。

今の社会の仕組みの中では、核家族が多いからね。



子どものまわりに、大人はやっぱりいた方がいい。

それも、ゆっくりとした大人がいて、

なんとなく「静養」している雰囲気がいい。

忙しそうで、不機嫌でいる大人を見るのは、

子どもにとっては楽しくない。



だから、わたしは、残業0(ゼロ)に賛成。

残業代0(ゼロ)には、反対。




しかし、これ、社会のしくみが、どう変わっていけば、

残業が0(ゼロ)になるんだろうか?



現代は、お母さんが子育てのプレッシャーをずいぶん感じている時代。

子どもが言うことを聞かない、というので、お母さんが焦燥する姿を何度もみてきた。




そりゃそうだ。一人で子育ての責任を一気に背負わされている感じがあって・・・。

きっと、母親をゆるさない社会は、子どもを許さないし、父親さえも許さないのだ。





残業がなくなって、父親がすぐに家に帰れば、母親はうれしい。

父親がゆっくりしているのを見るのは、子どももうれしい。




親が不機嫌だと、

子どもは、意味が分からなくなる。

その「不機嫌」の正体は、ナニ?

ぼくのせい?



機嫌良く、早く帰ってきてほしい。それだけで、すべて満たされる。

business_zangyou

【小学校の教室の研究】あなたのための空間

人が複数いたら、利害関係が生まれて、一致しないから、
争いが起こるのではないか。

教師になる、ずっと以前から、私の頭にあった疑問です。

A君のための場であることが、Bくんのための場であることと、なんら矛盾しないのかどうか。

これは、AくんとBくんがちがう人間である、という『ユニークさ』が、それを両立させるのでしょう。

生物学の本など読むと、どうもそう思われてきます。


これは、簡単なことですが、Aくんのための場であればあるほど、Bくんのための場になるわけです。

教室には、離席する子もいれば、しない子もいます。

そして、双方が、それを邪魔とは思わないのです。

「ちっとも邪魔にならない」

というのが、ひとつのポイントだと思うようになりました。

そういう、おたがいの、間柄なのですよね。




では、なぜ、そうなるのでしょう。

ここは、あなた(わたし)のための、空間。



小学校の教室は、そこが決まっているから、ということなのだろう、と思います。


job_konchu_gakusya