叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「責めない」という選択肢

家族を殺された方が、殺人犯のもとへ面会に行く。

そこで、

「あなたが幸せになることでしか、解決は無い」

という。

殺人犯は、涙を流して、声を震わせながら、

「わたしが幸せになっても、いいんですか」

と、言葉を絞り出す。



殺された家族のことを思うと、居ても立っても居られなくなり、

同じように殺人を犯した者のところへ行き、何度も対話を重ねる、という。

それは、自分の感情をぶちまけるわけでもなく、

犯人を責めるわけでもなく、

ただ、「対話者」としての、ひとりの人間になるため。

「あなたには、対話者がいなかったのかもしれない」

身近に、本当の意味で、対話のできる人がいれば、あなたは殺人を犯さなかっただろう、と。

news.yahoo.co.jp





わたくし、実は、同じようなことを、以前に聞いたことがある。

このブログにも、書いている。(2016年05月06日どんな子もかわいいは、嘘か)


アメリカの映画かドキュメンタリーで、同じように娘を殺された家族が、

これから処刑される殺人犯を前に、

あなたが幸せになればよかったのに、と言って抱きしめる、という場面だ。




幸福、というものを真に見つめれば、

自然と相手の幸福を願っていくほか、他にすることはない。



8月に入り、命とか、人生とか、考える機会が増えた。

日常に忙殺されることが多い毎日であるが、

一方で、人間の生きる、おおもとのところを、きちんと考えていたい、と思う。

犯罪者