叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

問題解決思考では解決できない~女子の会話~

夏休み。
わりと家にいる時間がある。

私が、嫁様の顔をみている時間も長い。
そこで、分かったこと。

うちの嫁様には、妹君がいるので、たまに姉妹でおしゃべりをする。

それがどうも、なかなかの長時間の会話なのだ。

わたしは、食卓で何をどうする、ということもなく、チビすけと遊んでいると、

否が応でも耳に入ってくる、女子どうしの会話。


ねこの餌は、なにがいいか、ということで、ずっと話をしている。


わたしは、つい、

そんなもん、店に行きゃ、いくらでも売ってるやろ!!

と言いたくなる。


ところが、女子が要求するのは、そんな簡明な「数式の解」ではない、のである。

べつに、女子は、問題解決をしようとしているのでは、ないのであった。



望んでいるのは、

「何を買えばいいのかの答え」

ではないみたい。




そういや、結婚したてのころ、ショッピングに付き合わないので、怒られたことがあるな。

丸井の入り口で、

「くつほしいな」

とつぶやいたので、

わたしはとっさに、本当になにも考えず、条件反射のように、

「あ、じゃあ、下のマックで待ってる」

と言ったら、

めっちゃ不機嫌になった。

・・・



迷う感じを、共有したいのであろうか。

あれがいいかな、これがいいかな、それもいいな、でもどうしよう~

こまっちゃうな~、と。




しかし。

靴、ならまだしも、

今回は、ネコの餌。

いつまで話しとんじゃい。



ねこのエサやろッ!!

なんでもいいがや!!




・・・と怒鳴りたくなりましたが、封印しまして・・・


ちびすけと遊びながら、

姉妹の電話対談が終わるのを、

ずっと、

ずっと、

わたしは静かに待ったのであります。



ところで、学校教育においては、なによりも

問題解決能力こそがゴールだと、

学校教育の大切な目標なのだ、ということになっています。

しかし、それと同時に、おなじくらいに大切なのが、

こころを伝え合う、通じ合う、人間の理解力、ということだと思います。




人間とは何か。

この理解力こそが、つぎの学習指導要領で大切にされていくべきでしょうな。

大人も、子どもも、お互いに。



問題解決ばかりでは、いつか、越えられない壁にぶち当たる。

問題解決は、万能ではない。

そこを、きちんと把握しておきたい。

愛知の山頂

大人の知らない子どもだけの世界 その2

 つかちゃんの家には、しょっちゅう遊びに行った。

初めて行った時、家の庭を見て、まずド肝を抜かれた。

まるでジャングルである。

植木鉢が所狭しと立ち並び、子どもの視界はすっかりさえぎられて玄関すら見えない。

「こっちから入って!」と叫ぶ、つかちゃんの声を頼りに裏手へ回ると、

家の壁際に巨大なガラス槽が見えた。

噂のカブト虫は、そこに眠っているらしかった。


ここでは何もかも、本格的であった。

僕は、わが家の軒下にある、30センチにも満たない、

ちっぽけな水槽のことをちらりと思った。



つかちゃんは、

「見る?」

というなり、柄の長いスコップで堆肥の山をほじくって見せた。


いた、いた。



白いカブト虫の幼虫が、ごろりと姿を見せた。

ぼくたちはのどを鳴らして、うめいた。

つかちゃんは、去年もいっぱいカブト虫を孵したらしい。

これなら、わざわざ取りに行かなくとも済むじゃないか、と思うのだが、

つかまえるのもやはり、つかちゃんの右に出るものはいなかった。



つかちゃんは夏休みになるときっちり成虫をつかまえて

ますますガラス槽をいっぱいにし、ぼくらをうらやましがらせた。

かぶと

大人が知らない子どもだけの世界

わたしが小学校の頃。(今から、もう四十年も前だ)

小学校の一年上級に、虫取りの得意な少年がいた。

塚本という姓であったため、みんなからつかちゃんと呼ばれていた。

彼はたもを持つと横なぐりにビュッと振り回し、一度に何匹もとんぼをつかまえた。



つかちゃんは、冬になってもサンダル履きで過ごした。

くつ下なんというものには、目もくれなかった。

足はいつもすり傷だらけ、乾いた泥をこびりつかせたままで、

平気で家に入ってきては大人に叱られているような子どもだった。




つかちゃんは、私を外へ誘い出すのが上手だった。

雨降りの日でも外で遊びたがった。

大人が使うような黒い大きな傘をさして、ゴム長を履いて玄関で待っているつかちゃんは、

ある日、両腕にインスタントコーヒーの空き瓶をいくつも抱え、

私にも、いくつか持たせたのだった。



「ガムシを取りに行こう」

つかちゃんは急いで早口でしゃべった、「空き地にいっぱいおる。」



ガムシなんていう虫は知らなかったが、

つかちゃんの腕力に押されて空き地へ連れていかれた。

わたしは、その『ガムシ』というのが、肌を刺したりしないかどうか心配した。



空き地では、住宅を建てるために整地工事が始まっていたようだった。

雨の中にひっそりと黄色いショベルカーが置かれ、そいつが通った跡に

でっかい水たまりが出来ていた。



つかちゃんは脇にしゃがみこむと手のひらで丹念に水をかい出しては、

「ほらおるおる」

黒い小さな斑点のような虫を水ごと瓶へ入れた。

それは、ゲンゴロウのはるかに小さく縮んだような、迫力に欠ける虫であった。


幾分、期待を裏切られたような気分でいると、

つかちゃんは瓶をたちまちいっぱいにし、

「次!」

と、下を向いたままで叫んで片手を突き出し、空き瓶を要求した。

僕は黙って抱えていた瓶を差し出した。



つかちゃんは、

大人の知らない、大人が教えてくれないようなことを、

教えてくれる人であった。

子どもだけが持っている世界、知っている世界、浸っている世界が、あることを、

つかちゃんは、当時、わたしに教えてくれたのであった。

クスサン幼虫をもらった手のひら

職員室をおおう不安感

以前から不思議に思われることを、一つ。

傍目(はため)から、全体に落ち着いているように見える学校は、見た目のわりに、

職員室の不安感が強いのではないか、ということ。


そういう学校では、先生方の、子どもに対する要求のレベルが高いことが、特徴だ。

おなじように、

先生方が、同じ仲間の先生たちに対して要求するレベルも高い。


同僚に対して、

強く見せる。

できると見せる。

キレる、と見せる。

冴えている、と見せる。



そう「見せて」いないと、なにかしら、

責められる感、

うとんじられる感、

蔑まれる感、

という意識が、あるようだ。

だから、職員室が、わりと、

そうはならないよう、自己保身のピリピリムードになる。

それが、子どもたちに、伝わっていることは確実だと思うね。

子どもの世界も、なんとなく、ピリピリ。





かえって、なんだか落ち着かない学校、

いろんな問題を抱えている、とみられている学校の職員室は、

意外にも、不安感が少ないように思う。




なんでかな、と思う。


たぶん、

職員室で、もう、お互いにかっこをつけなくてもよいし、

おのずと、相談しやすい雰囲気になっているし、

お互い様と言い合える、職員間で積み重ねた人間関係があるし、

どうしたって、なにがあったって、協力していくのだ、という

気持ちが強いからかもしれない。

仲間を責めることもないし。

ピリピリムードは、ほとんど、ありません。



これ、保護者から見たら、まるで逆に見えるのじゃないかな、と

ふと、思ったのが、この記事を書くきっかけ。



「子どもが落ち着いているから、いい学校だよ!」

というときの、『いい』の中身は、なんだろうか、と思う。



「いろんな子がいて、ハチャメチャだから、とってもいい学校だよ!」

ということだって、言えると思うね。

表面が静かだけど、内心はピリピリ、というの、よくありがち。

逆に、表面は波打っているように見えても、その実、一人ひとりはとっても充実して

のびのびしている、ということも、よくあることだろう、と思います。

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小さな問題を見逃す力

学校は、他の一般的な企業とは、もしかしたら違うのかもしれない。

というのは、よく世間では、

「小さな芽をつむことが、大きな問題を防ぐことになる」

と言われるでしょう?

ところが、学校では、まったく逆です。




小さな問題は、むしろ、意図的にスルー、が常識です。

スルーできないと、これは、本当に子どもが荒れる。

子どもが息をしにくくなる、という弊害が大きいのが、小学校という場所の特徴だ。




実は、小さな問題というのは、「不安」という意識上のもの、であることが多い。

見逃しても、じつはたいしたことがない。

それよりも、

「このままだと、たいへんなことになっていくのでは?」

というような、不安が不安をよぶことによる心理的な弊害の方が、何倍も、何倍も、大きいと思う。



不安というものは、形や実態がないし、根拠とむすびつけることもできないものだから、

ふわふわしていて、とらえどころがない。

だから、すぐに、大きくなってくる。



不安で心に余裕がなくなり、冷静さを失って、噂を信じてしまったり、

ひとの心に目の向かない、なんともやるせない、

無駄な対応策を強引に人に押し付けることになったりする。



小さな芽、のようなものが見つかったら、

「あれ?自分、これが芽だ、問題だ、困ったな、と思っているけど、

これ、本当に困らなきゃいけないことなのかな。だれが困るのかな」

と考えていきたいと思う。


桃の絵

焼き場に立つ少年

6年生。
社会、歴史の授業。

『太平洋戦争』について。


授業の最初に、この写真を見せました。
しーん。

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日本は、アメリカ・中国などと戦争をしました。
この写真は、その戦争が終わったすぐ後に、長崎で撮影されました。

撮ったのは、アメリカ軍のカメラマンであるオダネルという人です。

この写真に、なにが見えますか?

「男の子」
「男の子が、小さな赤ちゃんをおぶっている」


まだ、なにか分かることや気づいたことはありますか。

「男の子の足は、はだしです」
「背中の赤ちゃんは、寝てる」


なんではだしなんでしょう。

「戦争で、なくなってしまった」
「どこかにいってしまった」
「急いで逃げてきたのかもしれない」


読み取った情報や、自分がそこから考えていけること、類推すること、背景として想像できることなどを、ノートに書かせた。

時間を十分にとったあと、ノートに書かせたものを元に、意見をだしあう。

おうちの人はどうしたのだろう

「お母さんも、長崎だから原子爆弾で被害を受けて亡くなったのかもしれない」
原子爆弾じゃなくても、戦争中だから、死ぬことがあったかも」


長崎にも、外国人が攻めてきた、ということ?

元寇のときは、外国人が上陸したけど、長崎にも上陸したのかも。」
「空襲があったのだと思う」


空襲ってなに?

「飛行機から、爆弾がたくさん落とされた」


日本の各地で、どれほどの空襲があったのか、資料集をみて、そこから情報を読み取る。
日本中、あちこちで空襲があり、大きな都市はほとんどが空襲を受けて被害をうけたことがわかる。

「長崎は原爆だけでなく、何度も空襲があった」
「きっと、この子は、アメリカや中国を憎んでいると思う。だから、兵隊になりたかったのかもしれない」
「だから姿勢がいいのかも」


子どもたちは、あれこれと自分自身におきかえながら、この子の心の内にまで想像をふくらませていく。

「歯を食いしばって、立っているようだから、きっとなにかとても我慢をしていると思う」
「お母さんが亡くなったから、我慢をしているのだろうと思う」
「背中の赤ちゃんが元気がないのは、食糧が不足していたのだと思う」
「栄養不足だったのだろう」
「たぶん、お母さんもいなくて、自分が赤ちゃんの世話をしないといけないということは、二人兄弟か」
「お父さんもお母さんもいないということは、学校には行けていないと思う」



あれこれと討論が終わって、この子をとりまく状況が分かってきたような感じのところで、

「この写真につけられたタイトルを教えます」

といって、

「焼き場に立つ少年」


と黒板に書いた。

しばらく、しーん。



背中の赤ちゃんは、もう亡くなっていたそうです。この子は、この赤ちゃんを火葬してもらうために、順番を待っていたのです。これを撮影したカメラマンが、この写真について書いています。この少年は、ずっと順番を待つ間、まっすぐに前を向いて、気を付けの姿勢をくずさなかったそうです
当時は、軍国教育でした。
どんな教育だったのでしょう。なぜ、ずっと気を付けをしていたのでしょうか。

「死んだ人が前にたくさんいるから、気を付けをしていたと思う」
「そうしないと、殴られたりしたのかも」
「気を付けをしていないと、叱られるからか」
「まわりに兵隊さんがたくさんいて、気を付けをしていたから、大人と同じように気を付けをしたのでは」


この赤ちゃんはなぜなくなったのでしょう。食糧が不足していたというけど、なぜそうなってしまったのでしょう。

「戦争で戦っている兵隊さんのために食糧を出していた」
「食べるものはほとんどが、軍隊のためにもっていかれたのでは」
「戦争で空襲があって、つくっているひまがなかったと思う」



用意していた、いちばん大事な発問をした。

少年はなにを見ているのでしょう。


「死んだ人の山を見ていると思う」
「焼けた自分の街をながめているのだと思う」
「なにも見ていない」


なにも見ていない、といった子に、どういうこと?

と尋ねると、

「たぶん、気を付けをしなきゃと思って立っているけど、立っているだけでやっとなんだと思う。だから、そのまま、もう何も心には入っていないと思う。目はあいているけど、なにも見えていないんだと思う」



最後に、この写真を撮ったカメラマンの手紙を読んだ。


長崎では、まだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に、わたしはたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

焼き場となっている川岸には、浅い穴だけが掘られている。水がひたひたと押し寄せていた。灰や木片、石灰が散らばっている。燃え残りの木片が、風をうけると赤く輝いて、熱を感じる。白いマスクをつけた係員がもくもくと、荷車の先から、うでや足の先をつかんで、引きずりおろす。そして、そのままの勢いで、火の中に放り込んだ。死体ははげしく炎をあげて、燃え尽きる。
(中略)

焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせていて、ぼろを着ていた。足は、はだしだった。少年の背中に、2歳にもならないような幼い子がくくりつけられていた。その子は眠っているようだった。体にも、まったく傷がなく、やけどのあとらしいものも、みえなかった。

少年は焼き場のふちに進み、そこで直立不動になった。
わきあがる熱風を感じていたのだろうが、動じず、そのまま動かず立っているままであった。
係員がようやく、その幼子を背中からおろし、足元の燃えさかる火の上に、のせた。

炎が勢いをまし、おさな子の体を燃やし始めた。立ち尽くす少年は、そのままの姿勢で立ち続け、その顔は炎によって赤く染まった。気落ちしたように少年の肩がまるくなり、背が低くなったようだった。しかしまた、すぐに背筋をのばして、まっすぐになった。わたしはずっと、この少年から目をそらすことができなくなっていた。

少年は、まっすぐを見続けた。足元の弟に、目をやることなく。ただひたすらに、まっすぐ前を。
軍人にも、これほどの姿勢を要求することはできまい。

わたしはカメラのファインダー越しに、涙ももう枯れ果てた、深い悲しみに打ちひしがれた顔を見守っていた。わたしは思わず、彼の肩を抱いてやりたくなった。しかし、声をかけることができず、そのままもう一度だけ、シャッターを切った。

すると少年は急に向きをかえ、回れ右をすると、背筋をぴんとはり、まっすぐ前をみて歩み去った。あくまでも、まっすぐ。一度もふりかえることなく。


〇この子はこのあと、どこへ行くだろうか。
〇大人になって、何をしているだろう。

最後に、感想を書かせた。

落雷後の犬山城を見に行く!

「国宝・犬山城の鯱(しゃちほこ)に雷が落ち、半壊した!」

そんな、衝撃のニュースが飛び込んできたのは7月12日のことでありました。

愛知県人のわたくしは、もう本当にいてもたってもいられず、

その日のうちにも見に行きたかった。

ようやく行けるようになった夏休み、さっそく犬山城へ直行。

信奉するいわしの頭の神様に祈りをささげ、

温泉で身を清めてからの城入りとなりました。

風雲告げる城


駅近くの橋から眺めた犬山城は、嵐の直前。

まるで、泣いているようでした。

落雷でくだけちったシャチホコを補修するため、足場が組まれていました。

こうなったら一刻も早く、元の姿に戻ってくれることを祈るばかり。

作業をする方たちの安全を祈願し、橋の上から何度もいわしの神様に祈りを捧げました。

犬山城は現存する木造天守閣では日本最古といわれています。

木曽川が削った段丘の、いちばん高い、いい場所に、城がありますから、

市内からとてもよく城が見えて、かっこいいです。

犬山城天守閣が、無事に元通りになるといいなと思います。





尾張徳川家のお殿様が、武士の時代が終わるとき、

犬山城に関しては、

「ひとつくらい、個人所有の城があってもよい」

とおっしゃったため、当時の城主であった成瀬家が、

個人で管理しつづけてきたそうです。

わたしが子どもの頃は、犬山城といえば、「なんだか珍妙なタイプのお城」って、イメージ。

だって、個人所有なんだもの。

「え?あれ、個人の家なの?」




しかし、最近になって、長年の悲願であった「譲渡」が可能となり、市が管理するようになりました。

成瀬家の方たちは、ずいぶんとホッとしたことだろうと思われます。

よかったですね~。


ふと、木曽川に目をやると、昔ながらの船頭さんたちが、川面をつーっと、

船で行き来されていました。地元の方にきくと、今夜、花火があがるのだ、ということでした。

木曽川の船頭たち2