叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

断・捨・離 のとりくみ、始めました




・モノが入ってくるのを 「断」つ。
・家の中のモノを、「捨」てる。
・過去のモノ、今使っていないモノ、使う予定のないモノ・・・
そうしたモノに、とらわれた考えを「離」す。

これらの行為を、あたらしい言葉にして、概念として認知してもらおうという動きがあります。
断捨離(だんしゃり)というそうです。

(「離す」の字は、とらわれの心を離す、という意味においては、「放す」の字がふさわしいと思うけど)




我が家も、家の中のモノを、捨て始めました。



・・・すごいすっきりする。


妻とふたりで、

「これ、だんしゃろう」
「いいね。だんしゃっても。どうぞ」
「だんしゃっちゃおうかなー。どう思う?」


などと、ダンシャる、という動詞を勝手に使って、大掃除をしています。

服はかなり捨てられましたが、本が捨てられない。
この本に助けられるだろう、役に立つに違いない、という気持ちが強いのだ。
しかし、確信はない。とりあえず、ともかくもとっておこう、という本が多い。
まだ読んでないし・・・。というものもある。
ではいつ、それを読むのか。
ちっとも、計画はないのだ。
だから、おそらくまた夏休みに大掃除をするときに、

「あーあ、読もうと思ってたんだけどね」

となるにちがいない。
そうやって、2年くらい、あっと言う間にたってしまった本がいくらもある。
要するに、・・・別に捨ててもよいのだ。
一度に、すっと捨てられたら、部屋の中がまたかなり軽くなるに違いない。


さて、その中に、「山びこ学校」がありました。
ご存知、無着成恭さんの本です。
高校生のころに読んで、まだ持っていました。
すごいねえー。
数え切れないほどの引越し、職場の変更、住む場所の変更、があったにも関わらず、ずっと持ち続けています。なのに、ほとんど読んだためしがない。

でも、持っている、というだけで、なにかしらこちらの精神状態に働きかけてくる本です。
つまり、背表紙をみるだけで、私の中に、なんらかの化学変化が生じるような・・・。
昔読んだ際の感動や、考える観点のようなもの、宿題のようなものが背表紙から立ち上ってくるかのようで、こればっかりは、読んでいませんが、捨てられません。

断捨離の教えの中に、

「今現在、使っていないものは思い切って捨てよ」


というのがあります。



ところが、この本、「山びこ学校」は、
使っていないようで、使っている。
そういう本なのだ。
背表紙を見るだけで、他の本の何倍も、わたしの気持ちに働きかけてくる。
だから、使っていないけど、使っている、というわけです。