テンプルグランディンさんのこと1
テンプルグランディンさん。
佐々木正美先生の講演の中で、何度か出てきていた。
ご自分が自閉症であることを知り、そのことをほとんど初めて大人になって解説し、自閉症とは、発達障害とは何か、ということを世に知らしめた方だ。
この方の話を聞くと、やはり「発達障害(Developmental Disorders, Developmental Disabilities)」という言葉が、なんだかとても間違っているように思う。
やがて、日本語訳としてふさわしくない、ということが、だんだんに一般的な認識になっていくだろうと思う。(もうすでに、佐々木先生をはじめ、多くの専門家が「訳語として使わない方がいいのでは」と発言されていますが)
発達障害とは何か、という説明をするときに、私の学校の特別支援コーディネーターの先生は、
「発達障害といいますが、発達が遅れているわけではないのです」
と、最初に必ず言う。
そして、付け加える。
「よく、誤解されるんですが・・・」
だったら、やはり、言葉を変えることを進めるのがいいと思う。
言葉は概念を引っ張ってくる強力な武器であり、言葉をつくったり、広めたりすることが、概念をつくったり、広めたりすることになるからだ。
さて、このグランディンさんの映画もあるようなのですが、英語バージョン等はあるが、まだ日本語訳化されたものは、発売されていない。
これの日本語訳が、本当に待ち遠しい。
そのグランディンさんの講演が、聞ける。日本語の字幕が出るので、助かる。
テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている
講演の最後に、アスペルガーがいなければ、人間はまだ洞窟で火を焚いてくらしていたでしょう、という発言が出てくるが、こういうことはまだ日本の教育現場では
「はは!!なにをいってんの(笑) あはははははは」
というようにしか、受け止めてもらえないように思う。
また、多くの母親をはじめとする親や保護者、ジイジやバアバにも、
「ウワハハハ、そんなあほな」
と思われているように思う。
たしかに、今の学校で、適切に指導も受けられないアスペルガーの子に対して、校長も教頭も、
「この子は天才予備軍」
とは思っていないのではないか。
だって、やっていることが、社会的ルールのしつけ、ということにいかにも偏っている。
難しいのも当然で、教室でじっとしていられない子に対して、テンプルグランディンの言うように、その子の興味関心のスイッチを押し、心に火をつけてやる、ということはなかなか難しい。学級担任がそこまでやれたらいいけど、支援級の先生も本当に大変で、アスペルガーの子が3人もいたら本当に疲労困憊の様子。原級の先生も、そこまでは見ていられない。だって余裕がないもんなあ・・・。行事が多くて・・・。行事と研究授業の打ち合わせばかりで、本当に職員室って修羅場。毎日の、アスペルガー児童の日常の世話なんて、後回しだものなあ。(すみません、愚痴になりました)