叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

向田邦子さんを偲ぶ


30年前の8月22日、向田邦子さんが亡くなった。


向田さんの作品に出会ったのは、「あ・うん」が最初。
20代。もう最初の就職をしていた。

「こんな感じで就職してもいいの?」

というような、あっけない、簡単な就職をしてしまい、それでもその仕事が楽しくて、充実感を味わいながらの日常生活。

ひまな時間にゆっくりと読書するくらいが趣味といえばそうか、というくらい、シンプルな暮らしをしていた。

当時は、土日なし。
ほとんどの人は信じてもらえない。
でも、ほとんど10年間近く、土日はなかった。
土曜も日曜も、働きづめに働いて、ほんの少しの余暇時間に、しずかに読書する。
そんな毎日だった。

そのころ、向田邦子さんの作品にあって、しびれた。
なにしろ、文体を真似たくて、ノートにびっしりと書き写しをしたくらいだ。
一番好きだったのは、「父のわび状」。
これは、一つ一つの短いエッセイを、内容とキーワードを抜き出し、分析した。構成の妙の「ワザ」を知ろうと取り組んだのだ。

向田邦子は、キーワードを大事にする。
キーワードを中心に、いろいろな連想が自由に働く。それをまるで連想ゲームのように展開し、最後に落語の落ちのように、ストンと読者を日常とは少しちがった世界に落としていく。

日常の、傍らに、まるでポケットのようにあいた空間に、ストン、と落としてくれる。そんな空間、あったの?というような不思議な世界に、さそいこんでくる。
遠い異空間なのではない。あくまでも日常、日常からほんの数センチずれたような意識の世界なのだ。

この文章の巧みさ、構成の面白みがこたえられない味となって、骨にしみこむほど読みこんだ。何度読んでも、ふるえる感動があった。

その向田さんを、評価する人は多い。
爆笑問題太田光さんが、向田さんは最高、と言いきっている。
なんだか、その入れ込み具合が自分とダブるんだよなあ・・・。


本当はテレビで「寺内貫太郎一家」なども見ていたらしい。幼なすぎて、その本当の面白さは理解していなかったろう。小林亜星さんがねじりはちまきでなんだかわめいている構図は覚えているから、わが家でもやはり寺内一家を見ていたんだろうな。


さて、夏から秋へ。

このところ、また、向田邦子を読み返している。
40歳になって、また20代のころとはまたちがった意味の、味わいがある。