わたしはどこの人間なのか?
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子どもがゲラゲラ笑う。
「先生、コナって言わないんだよ。コナ、だよ」
字で書くとツタワラナイ。
粉、という言葉のイントネーションが、面白いらしい。
私の発音は、「コ」にアクセントがある。
「コ」が高い音で、「ナ」が低い音。
ところが、ここらの子どものアクセントは、わたしのとは異なる。
「コ」が低い音で、「ナ」が高い音。
それで、わたしが理科の電磁石の実験のときに、やたらと
「鉄の粉をここに置くよ」
とかなんとか、「こな」という言葉をたくさん使ったら、それだけでくすくす笑う。
イントネーション。
抑揚・音調・語調・声の高低変化。
こんなにも、違いを感じるものかなあ。
あとの休み時間に、近寄ってきて、
「先生、こなって言ってみて」
わたしが何度も、コナ、粉、と繰り返すと、それだけで目から涙が出てくるほど笑っている。
次の時間に、あんまりみんなが笑うからね、とアクセントの話をしたら、
「先生のおかしいのは、他にもあるんだよ」
と教えてくれる。
「なにが変なの?」
子どもは張り切って教えてくれる。
「あのね、ぶらんこ、が違うよ」
一人が言うと、みんな、そうそう!と、盛り上がってきた。
ハクション大魔王のアクビちゃんにそっくりな、Yさんが可笑しそうに、
「あとね、重さ、もちがうよ。先生のは、お・も・さ、というもの。」
するとまた、クラス全員が
「そうそう!!」
へええ・・・ちがうんだねえ・・・
ぶらんこは、子どものアクセントは、「ら」にある。
である。
わたしのは、「ぶ」がもっとも高い。
重さ(おもさ)の場合、子どものアクセントは、「も」と「さ」に存在する。
となる。
ところがわたしのは、「お」が高い。
となる。
「なんでこうも、言い方がちがってるんだろうねえ」
わたしが不思議がっていると、
「先生の、ありがとうってあるでしょう。ありがとうっていうの、お母さんと一緒だよ」
「ええ?お母さんは、どんなふうにいうの?」
「お母さんは、最後の、とう、が高いんだよ。大阪出身なんだからね」
その子の母親は、大阪出身で、関西弁だそうだ。
今はこの土地に越してきているから、岡崎の言葉になってきているのだろう。しかし、それでも幼い頃から言いなれた口調というのは、そのままなんだろうね。
「先生も大阪出身なんでしょう?だから、うちらと言葉がちがうんだよね?」
私は日本地図を見ながら、若い時から住んだ場所をすべて子どもたちに教える。
すると、日本のあちこちを、さまざまに移動してきて、住居が転々と変わっているから、子どもたちはとても驚く。
「先生は、日本のあちこちで暮らしてきました。言葉もいろいろ、アクセントもいろいろ、覚えました。それで、とうとう、ごちゃまぜになっちゃいました!」
すまん、すまん。
私は、すまんのう、と謝る。
すると、気の毒がった子が次の日の日記に、こう書いてきた。
「先生は、いろんな場所のハイブリッドだから、べつにいいんじゃないかと思います。ただ、教室だと笑っちゃうので、理科のときの、<こな>だけは気を付けてください。」
いいなあ、ハイブリッドかあ。
ちょっと、かっこよく聞こえてきたなあ。
それでも、まあ、<こな>だけは、気を付けます。
すまん、すまん。
子どもがゲラゲラ笑う。
「先生、コナって言わないんだよ。コナ、だよ」
字で書くとツタワラナイ。
粉、という言葉のイントネーションが、面白いらしい。
私の発音は、「コ」にアクセントがある。
「コ」が高い音で、「ナ」が低い音。
ところが、ここらの子どものアクセントは、わたしのとは異なる。
「コ」が低い音で、「ナ」が高い音。
それで、わたしが理科の電磁石の実験のときに、やたらと
「鉄の粉をここに置くよ」
とかなんとか、「こな」という言葉をたくさん使ったら、それだけでくすくす笑う。
イントネーション。
抑揚・音調・語調・声の高低変化。
こんなにも、違いを感じるものかなあ。
あとの休み時間に、近寄ってきて、
「先生、こなって言ってみて」
わたしが何度も、コナ、粉、と繰り返すと、それだけで目から涙が出てくるほど笑っている。
次の時間に、あんまりみんなが笑うからね、とアクセントの話をしたら、
「先生のおかしいのは、他にもあるんだよ」
と教えてくれる。
「なにが変なの?」
子どもは張り切って教えてくれる。
「あのね、ぶらんこ、が違うよ」
一人が言うと、みんな、そうそう!と、盛り上がってきた。
ハクション大魔王のアクビちゃんにそっくりな、Yさんが可笑しそうに、
「あとね、重さ、もちがうよ。先生のは、お・も・さ、というもの。」
するとまた、クラス全員が
「そうそう!!」
へええ・・・ちがうんだねえ・・・
ぶらんこは、子どものアクセントは、「ら」にある。
ぶ ら ん こ
低 高 低 低
である。
わたしのは、「ぶ」がもっとも高い。
ぶ ら ん こ
高 低 低 低
重さ(おもさ)の場合、子どものアクセントは、「も」と「さ」に存在する。
お も さ
低 高 高
となる。
ところがわたしのは、「お」が高い。
お も さ
高 低 低
となる。
「なんでこうも、言い方がちがってるんだろうねえ」
わたしが不思議がっていると、
「先生の、ありがとうってあるでしょう。ありがとうっていうの、お母さんと一緒だよ」
「ええ?お母さんは、どんなふうにいうの?」
「お母さんは、最後の、とう、が高いんだよ。大阪出身なんだからね」
その子の母親は、大阪出身で、関西弁だそうだ。
今はこの土地に越してきているから、岡崎の言葉になってきているのだろう。しかし、それでも幼い頃から言いなれた口調というのは、そのままなんだろうね。
「先生も大阪出身なんでしょう?だから、うちらと言葉がちがうんだよね?」
私は日本地図を見ながら、若い時から住んだ場所をすべて子どもたちに教える。
すると、日本のあちこちを、さまざまに移動してきて、住居が転々と変わっているから、子どもたちはとても驚く。
「先生は、日本のあちこちで暮らしてきました。言葉もいろいろ、アクセントもいろいろ、覚えました。それで、とうとう、ごちゃまぜになっちゃいました!」
すまん、すまん。
私は、すまんのう、と謝る。
すると、気の毒がった子が次の日の日記に、こう書いてきた。
「先生は、いろんな場所のハイブリッドだから、べつにいいんじゃないかと思います。ただ、教室だと笑っちゃうので、理科のときの、<こな>だけは気を付けてください。」
いいなあ、ハイブリッドかあ。
ちょっと、かっこよく聞こえてきたなあ。
それでも、まあ、<こな>だけは、気を付けます。
すまん、すまん。