叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

テニスをやめる、という子にどう言うか?

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先生、うちの子、なにも長続きしないんです。
せっかくテニスの教室に入ったんだけど、半年したらもうやめたいって。

保護者懇談会で、相談です。

親がテニスが好きなので、子どもにテニスを習わせたそうです。
けれど、その子にやる気が見られず、やめたい、と言っている。
親としては地道に練習を続けられる子に育ってほしい。また、それ以上に、子どもに「すぐにやめた」と言われるのがイヤ、ということだった。なぜやめた、と言われるといやかと言うと、世間体もある、「あそこの子は何でもすぐにやめてしまう、と言われるので・・・。

お母さんは、けっこうソフトに

「せっかく、ここまで続けてきたから、あと少しで上の級にも行けるだろうし、もう少しやってみたら」

と話しかけているのだそうですが、その子は、もうやめたい、と。

コーチがきらいな訳でもなく、なにか友達関係で悩む感じもなく、テニスがとことん苦手なわけでもない。

親としては、なんでやめるのか、確実な理由が見当たらない。
だから悩んでいるのでしょう。
理由が分からないから。

理由が分からないと、親の納得がいかない。
親は、「理由」をきいて、それで「納得」がほしいわけ。
あくまでも、自分が納得できそうな「理由」ね。
実際には、子どもの心は、親にツタワラナイ。

お家の人は、「この子の心が分からん」と思ってる。
お家の人は、「理由」が分かれば、この子の心のうちが分かる、と思っている。
けど、たぶん、何を聞いても納得できないでしょう。
最初から、納得する気が無いもの。
「なんでやめるなんていうのか。やめるなんて言ってほしくない」
と思っているお家の人に、子どもの心が伝わるわけがない。
納得のいく理由なんて、100年経っても見つからない。

お家の人は、ぐるぐると悩む。どうしてこの子は「やめる」というのだろうか・・・。
頭を抱えて、なぜ、なぜ、と悩んでいるうちに、ふと、
「本当にどうしてだろう・・・」

と、考える瞬間が訪れる。
子どものことを、責める気無しで。
本当に、『純粋に』知りたくなる瞬間が出てくる。

すると、するすると紐が解けるようにして、見えてくる。
難しいのは自分の心の中であって、とても簡単な話だったのだ。
先生なんかに相談する話じゃなかった。
とーっても、かんたんでシンプルな話だった。

要するにね、別のことがやりたいんだよね。

ちょっと、休みたいだけかもしれない。横になりたかったり、ボーッと漫画を読みたかったり、空を見上げたかったり、あるいは電車に乗りたかったりと、子どもによって様々だけど、ちょっとちがうことをしたいのだろうね。

で、そのうちに、別のことをやりたくなる。

テニスをやめて、習字をやる、というかもしれない。

そしたら、テニスで上半身を鍛えていたから、習字でも背筋がピッと伸びてて、いいね、と。

テニスだって雨の日でも通ってたから、習字も休まないで行くのが苦にならないんだね、と。

これまでやってきたことが、こんなふうに生きてきているね、と。

そう思ってもらえる周囲の環境があれば、どんなことでも、経験として生かせていけるんだな、と学習できる。

親から、そんなふうに思ってもらえているのだったら、次はもっと意欲的になれる。

子どもはすべての経験を財産にしていこう、と思える。




それにしても、「やめたい」と聞くと、責めたくなるのは、どうしてなんだろう?

たぶん、親もかつて、責められたことがあるからちゃうかな。






責めることで、相手の行動を変えさせる、というのが、ふつうだと思ってるからか。

相手を変えられる、という思い方があるからかな。




なんで相手を変えたい、と願うのかね。

そう、そこ。

何度も考える。

なんで、相手を変えたいと願うのか。

自由って、なんだ?

こういうこと、話したい。

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