「なぜするか」と問うか、「それをする良さは何か」と問うか
.来年度の児童会の活動を、勤務校で見直すことになった。
PTAの会議で、
〇子どもたちが、アルミ缶を集めるのは意味があるのですか
〇子どもたちが、ペットボトルの蓋を集めるのは意味があるのですか
などと、父兄から意見が出されたからである。
そのご父兄のおっしゃるには、子どもたちが児童会活動に役立てるために自発的に行われているものかどうか、が大事で、そうでないならやめたほうがいい、という意見であった。
職員会議で、それもそうだ、ということになった。
ただし、アルミ缶は引き取り業者もいてお金に変わるし、そのお金で児童会の画用紙を買ったり、1年生にプレゼントを渡したりしているので、有効活用している、という感じはある。
ペットボトルの蓋を集めているのはもう6年以上続いているが、要するに、きれいなプラスチックなのに捨てるのはもったいない、ということであった。
再利用できるものは、協力していく。そのことが地球環境保全につながるのでは、という意味らしい。
ところが、それが疑問視され、子どもたちがただ惰性で、言われたからなんとなく集める、では意味がないだろう、ということで、今回のように、会議の俎上にのせられた、というわけ。
そこで、子どもたちにも聞いてみよう、ということになった。
わたしは、委員会の子どもたちを集めて、なんと問うていけばいいだろうか、と数日悩んだ。
それは、
「なぜエコキャップを集めるのか」
と、子どもたちに問うたなら、
「資源がもったいないから、再利用するため」
という答えしか、出てこないと思われたからだ。
もちろん間違いではないが、それは子どもたちから出てきたというよりは、どこか大人の言説から出てきたような文章である。つまり、子どもたちは、まるでテストに答えるようにして、頭の中身をスキャンし、おそらく大人目線からみて、正解に近いであろう、という文章を、口にするのではないかと思われた。
そこで、問い方を変えた。
「エコキャップを集めることの良さは、なんだろうか」
すると、もちろん資源の有効利用、という言葉は出てきたが、それ以外にも、
〇もしかすると落ちているものも、だれかが拾うかもしれない。
〇そしたら、住んでいる場所がきれいになる。
〇ふたを集めるから、中身が入ったまま、捨てる人がいなくなる。
〇ふたを外す時に、ペットボトルの中身も洗いたくなる。
〇1年生でも軽いから持ってこれる。
〇アルミ缶とちがってお酒のにおいがしないから、1年生でも持ってこれる。
・・・
などと、意見がバンバンと出てきた。
これ、大事だと思うんだよね。
つまり、理由をきくという、『クエスチョン型発問』から脱却する。
そして、よさの関連を問う、『アビリティ型発問』に変換していく。
21世紀は、こうでなくちゃ。
授業の発問にも使えるし、人間の活動のありとあらゆる面で、
「質問の中身」
を変えていきそうだと思う。
このことに気付いたので、さっそく、授業に応用してみた。
今、社会の歴史で、最後のところをやってる。
つい先日まで、授業でこう発問しようと思っていた。
『日本が国際交流や国際協力をしているのはなぜか』
これだと、おそらく教科書的な回答であるところの、
「文化交流ができて豊かになる」とか「困っている国を助けることができる」
と、子どもたちは答えるであろう。
『日本が国際交流や国際協力をしているのはなぜか』
これは、クエスチョン型発問である。
これを、アビリティ型発問に、変換してみよう。
すると、こうなる。
『日本が国際交流や国際協力をする良さはなにか』
これが、アビリティ型発問である。
この発問だと、どんな反応が出てくるか、楽しみである。
3学期の社会の授業が、待ち遠しい。
PTAの会議で、
〇子どもたちが、アルミ缶を集めるのは意味があるのですか
〇子どもたちが、ペットボトルの蓋を集めるのは意味があるのですか
などと、父兄から意見が出されたからである。
そのご父兄のおっしゃるには、子どもたちが児童会活動に役立てるために自発的に行われているものかどうか、が大事で、そうでないならやめたほうがいい、という意見であった。
職員会議で、それもそうだ、ということになった。
ただし、アルミ缶は引き取り業者もいてお金に変わるし、そのお金で児童会の画用紙を買ったり、1年生にプレゼントを渡したりしているので、有効活用している、という感じはある。
ペットボトルの蓋を集めているのはもう6年以上続いているが、要するに、きれいなプラスチックなのに捨てるのはもったいない、ということであった。
再利用できるものは、協力していく。そのことが地球環境保全につながるのでは、という意味らしい。
ところが、それが疑問視され、子どもたちがただ惰性で、言われたからなんとなく集める、では意味がないだろう、ということで、今回のように、会議の俎上にのせられた、というわけ。
そこで、子どもたちにも聞いてみよう、ということになった。
わたしは、委員会の子どもたちを集めて、なんと問うていけばいいだろうか、と数日悩んだ。
それは、
「なぜエコキャップを集めるのか」
と、子どもたちに問うたなら、
「資源がもったいないから、再利用するため」
という答えしか、出てこないと思われたからだ。
もちろん間違いではないが、それは子どもたちから出てきたというよりは、どこか大人の言説から出てきたような文章である。つまり、子どもたちは、まるでテストに答えるようにして、頭の中身をスキャンし、おそらく大人目線からみて、正解に近いであろう、という文章を、口にするのではないかと思われた。
そこで、問い方を変えた。
「エコキャップを集めることの良さは、なんだろうか」
すると、もちろん資源の有効利用、という言葉は出てきたが、それ以外にも、
〇もしかすると落ちているものも、だれかが拾うかもしれない。
〇そしたら、住んでいる場所がきれいになる。
〇ふたを集めるから、中身が入ったまま、捨てる人がいなくなる。
〇ふたを外す時に、ペットボトルの中身も洗いたくなる。
〇1年生でも軽いから持ってこれる。
〇アルミ缶とちがってお酒のにおいがしないから、1年生でも持ってこれる。
・・・
などと、意見がバンバンと出てきた。
「なぜエコキャップを集めるのか」 → 正解を出そうとしてしまう
「エコキャップを集めることの良さは、なんだろうか」 →さまざまな面から見ようとする
これ、大事だと思うんだよね。
つまり、理由をきくという、『クエスチョン型発問』から脱却する。
そして、よさの関連を問う、『アビリティ型発問』に変換していく。
21世紀は、こうでなくちゃ。
『クエスチョン型発問』から『アビリティ型発問』へ。
授業の発問にも使えるし、人間の活動のありとあらゆる面で、
「質問の中身」
を変えていきそうだと思う。
このことに気付いたので、さっそく、授業に応用してみた。
今、社会の歴史で、最後のところをやってる。
つい先日まで、授業でこう発問しようと思っていた。
『日本が国際交流や国際協力をしているのはなぜか』
これだと、おそらく教科書的な回答であるところの、
「文化交流ができて豊かになる」とか「困っている国を助けることができる」
と、子どもたちは答えるであろう。
『日本が国際交流や国際協力をしているのはなぜか』
これは、クエスチョン型発問である。
これを、アビリティ型発問に、変換してみよう。
すると、こうなる。
『日本が国際交流や国際協力をする良さはなにか』
これが、アビリティ型発問である。
この発問だと、どんな反応が出てくるか、楽しみである。
3学期の社会の授業が、待ち遠しい。