叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

Sくんがいない日の・・・

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ちがう学年の先生。

いろいろとクラスの子が言うことを聞かないので、苦労していた。

ある日、とても快活な感じで職員室で過ごされている。

雰囲気が明るいので、いいことでもあったのかと、

あとできいたら、

「Sくんが、お休みだったので」

ということだった。




「あの子には、困る」

「あの子が難物だ」




そういう子が、クラスに数人いるのが、当り前だ、という感じがあるのかも。




ところがですな。

次の学年になったら、Sくんもそんなこともなく、

なかなか活躍することだってあるわけネ。

そういうパターン、結構、ある。

ちっとも、難物などでは、ないことも多いわけ。

これはどうしたって、教師が勝手に、

『難物化』

したってことになる。




勝手に難物化、という病が、教師にはあるわけで・・・。



Sくんが難物だったわけでなく、

先生の判断だったってこと。



「難物評価」をなくしましょう、というと、これは難しい。

「だって、難物だもん」と。

そうとしか、見えないのだから。

「見るな」と言っても、「そうとしか、見えない」のだ。

そのかわり、

「もっとあれこれ、よく見てみましょう」

というアプローチの方が、かんたんで、スッといける。



先生に、

「この子を、そんな目でみないでください」

というのは、苦しい。

「じゃあ、どう見ろというのか?」と、

わけが分からなくなる。

だから、

「もっと、よく見てみよう、さまざまな見方で・・・」

と語り掛けたほうが、効き目があるように思う。




見ない、というワザは、人間にとって、とても難しい。

癖がついているから。

その代わり、そのままを、見る、

きちんと見る、

という方が、

人間には習得しやすいのではないか、と思います。

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