叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

教師の暴言

教師の暴言があった、ということで、テレビ報道されている。

所沢市の教師が「窓から飛び降りろ」

沖縄の教師が「脳みそをつかえ」


両方とも、命令調だということになっている。

これは、教師の叫びだ、ということは、明らかでありましょう。

教師の、悲鳴であります。



たぶん、相当な、プレッシャーを受けている。

逃れたい、逃れられない、そんな悲鳴です。

わたしは自分が教師だから、その苦しさが、なんだかよく分かる。

せつないねえ。



教師が逃れたいと思っているのは、なにから?

それは、「責められることの不安」でしょうナ。

子どもにいくら要求しても、頼んでも、願ってみても、

通じないので、だんだんと焦ってくる。

校長にどう思われるだろう、保護者にどう思われるだろう。

不安が大きくなり、子どもを変える、それしか考えられなくなる。

ブラック企業で、追い込まれた社員と同じです。

自分でも、他の方法も何も見えなくなり、

そのことだけが重大に思えてきて、どうしようもなくなる。

だから、悲鳴をあげているのでしょう。






大人が悲鳴をあげるという点で、すでに

この学級は、学級らしくない、ですね。

大人目線の学級らしさを追及しようとしても、

実はそこにいるのは、小学生ですから。

小学生のつくる、学級なのですから。

大人目線の学級らしさと、

子ども目線の学級らしさが、

違うのかもしれない。

小学生の学級に、大人の悲鳴は、要りません。




ところが、世間は、大人目線での学級を要望する。

教師は、それをつい、「忖度」したくなる。

だから、掲示物はすべて、折り目正しく、縦横90度、すこしのズレもなく、ぴったり貼られ、

机の角までぴったりと揃えられて、落書きも無く、わけのわからない粘土の作品もなく、

おしゃべりもなく、間違いも無く、なんにもないのが、尊ばれていくわけね。

ところが、現実の子どもっていうのは、そうはならない。


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