叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

ハングリー精神 ~24時間テレビ~

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わたしは、24時間テレビを見ていて、いたたまれない気持ちになったことが何度もある。

タレントが、必死になって走っている。
それを見て、テレビの中のナレーションは、

「痛々しいですね」
「でも必死になって頑張っていますよ、〇〇さん」
「これからモチベーションも上がってきます」
「願いのこもった襷(たすき)をかけて、走る姿に声援が!」


たぶんこの昭和の必死なハングリー精神というもの、なんだかあまり受けないんじゃないかな。高度経済成長をまだまだ信じていた昭和40,50年代ならまだしも。
日本人の精神構造は、かなり変わってきている。

少し前になるけど、草食系という言葉で、

「若者たちが変わってきた」

と表現する向きがあった。
しかし、それよりもさらに前から、だいぶ変わってきている。
おそらく、20年以上前、若者が新人類と呼ばれたころから、すでに、
バブルがはじける少し前から、若者たちはすでに大人よりも先に疲れてきていて、

「あんなに激しく、何かを求めようとする精神構造って、疲れるよネ・・・」

となってきていた気がする。
あくまでも、個人的な感想だけど。
○みんな高級品が欲しい
○みんなリッチな暮らしがしたい
○忙しく働き、年に一度海外リゾートでのんびり寝そべるのが夢
○そのために、歯を食いしばって努力するのがよい

マスコミは↑こう言ってたけど・・・

たぶん、そんなことじゃない(=ではない)ところで、一部の人は動き始めていたのではないだろうか。
人々の行動の底にあるもの、つまり<動機>というものが、昭和と平成、とくに、この震災以後は、ずいぶん変わってきてるんじゃないの?


・・・と、思っていました。
だから、時代がハングリーを求めていないのに、まだ続けている古典的イベント、というふうに、24時間テレビのマラソンをとらえていました。




ところが!

今年の、DAIGOさんは、ちがったっ!!!




DAIGOさんは得難い芸人さんで、テレビの中でもごく自然にふるまうように思う。
決して、無理してなさそう。そこが好き。

それで、あんまり、

ハングリーな感じが、しない!

そこが、ちがった。

なぜなんだろう。
DAIGOさんは、時おり、沿道で声援を送る人に対して、ウィッシュ!とかやってたけど、

なんだか、なにかのついでに走っているようで・・・
べつに、マラソンに興味は無いけど、たまたま走っています、というような・・・

「興味が無い顔してるけど、あんたきっちり走ってるじゃないの!?」

とつっこみたくなるくらいの。



たしかに苦しそうで、眉間にしわは寄っていたけど、

急に

「あ、おれ、もう歩くわ・・・、っと、やめよかな」

と走るのをやめて、道ばたのカレー屋にふと入っていきそうで。


こんなにも、

ぼく、マラソンとは無関係です。

という感じのするマラソン・ランナーは見たことがないかもネ。

ま、育ちの良さ、ですかネ。(←自己肯定感のオーラがある、ということネ。総理の孫とかという意味ではない)




↓山の中腹でみつけた、偶蹄類の足跡。

あしあと